入院(後半)


さて、胎児心エコーを済ませた私は、これで元気な子が産めると信じていました。
そして、3ヶ月ぶりに家に帰って来た私は、普段どおり家事をしたりしていました。
「早く国立循環器病センターに行ったら!」と言う声に押されて、一ヵ月後の11月5日国立循環器病センターにはづチチと一緒に行くことにしました。
初めて行く病院に、少し緊張しながら順番を待っていました。
チチも、緊張して・・・・と思いきや、待合室の椅子ですっかり眠りこけていました。
しばらくして名前を呼ばれて診察室へ。

紹介状を見た先生は不思議そうな顔で「なんで???今頃、こっちに来たの???」と、かなり腑に落ちない御様子。
そして、未熟児の危険性などを話して「じゃあ、とりあえず心エコーやレントゲンの検査があるし・・・とりあえず、すぐに入院してくれますか?」
と言われ、「あ〜〜やっぱり・・・」と思いつつ、「無理です!」と答えたはづハハ。
「いつなら入院できますか?」と先生。「いつぐらいがいいですか?」とはづハハ。
「出来れば早い方がいいんですけど・・・」と先生。「無理です!」とはづハハ。先生は、外来で心エコーをとれる日を調べてくださいましたが月末まで一杯で予約が取れず・・・結局、週明けからの入院となりました。しかも、生まれるまで・・・

月曜日、はづハハは入院することになりました。
早速、検査の毎日です。レントゲン・採血・心電図・ホルター心電図・心エコー・・・結果をが出るたびに、先生は驚いていました。
この頃のはづハハの心臓は、不整脈もひどくなってるのが自分でも分かるくらいになっていました。
症状としては、かなり悪くなっていたようです。心肥大に不整脈、おまけに心臓に血栓のようなものまで見えると言われました。
産科の先生からは、「かなりひどい状態です。出産すると言うことは、自分の寿命を縮めることですよ。分かってますか?」と何度も言われました。
そのたびに、はづハハはまるで他人事のように「は〜い分かってます!」と笑顔で答えてました。きっと、先生達にしたら「本当に分かっているのか?こいつ・・・」と思われてたに違いありません。とりあえず、目標は30週まで持たすこと。年を越したら、何とかなるだろうとの事でした。
そして、主治医の先生は「あんまりウロウロしないでね。そして、お母さんに何かあったら、すぐに緊急手術になるから・・・」といつも言ってました。それだけ、はづハハの心臓はかなりの負担が掛かっていたようです。
しかし!はづハハには自覚症状が全くなくいつもどおり元気でした。

国立循環器病センターでは人工弁の妊婦さんはワーファリンを使わず、妊娠発覚から出産までヘパリンでいくそうです。その間、ずっと入院をしとかないといけないらしいのです。主治医の先生も、ヘパリンにするかどうか迷われたようです。でも、ヘパリンは調節が難しくワーファリンからヘパリンの移行がなかなかうまくいかないらしいのです。それで、ワーファリンのままでいたのです。産科の先生達は、ワーファリンのまま緊急手術になった時どうするか?と、考えてたらしいです。
それでも、はづハハは外泊したり、ウロウロしたりしていました。

11月30日、この日は初寿紀の3回忌です。もちろん、外泊して準備に大忙しのはづハハです。はづチチは当日も仕事で、ぎりぎりに帰って来ました。
大慌てで、3回忌の準備をして親戚を迎えました。無事、初寿紀の3回忌を終えることが出来ました。
そして、その晩はづハハは、実家に帰りました。

次の日、はづハハは病院に戻りました。


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